2012年2月、国内の多くの街で課題となっているまちづくりについての新たな知見を得るため、ヨーロッパの6都市へ視察に行ってきました。今回の視察の目的は大きく以下の2つです。
1.既存の都市景観と資源を活かした先進的なまちづくりを行い、個性と賑わいある景観を創出している街の事例から、今後の豊かな都市生活のあり方を学ぶこと。
2.工場などの産業遺構を活かした開発、街のブランディングによるイメージの向上に実際に成功した事例を視察し、国内およびアジア圏でこれから増加すると予想される産業都市から文化的都市への転換手法を学ぶこと。
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『都市の歴史や地理的特徴をアイデンティティとする』
まず1つめに挙げた目的のため、ルクセンブルク、ベルギーのブリュッセルとオランダのアムステルダム~ユトレヒトを視察しました。
中世の雰囲気と最先端の豊かさが共存するルクセンブルク
ルクセンブルク大公国の首都ルクセンブルク市は市内を南北に走るペトリュス川によって旧市街と新市街に分かれており、標高230~380mの崖の上に築かれた旧市街は、その美しい街並み全体が世界遺産に登録されています。
面積は神奈川県ほどの広さの小さな国ですが、ドイツやフランスなどの大国の間に位置することから要塞都市として古くから栄え、現在ではユーロ圏の金融の拠点として世界最高水準の豊かさを誇っています。
旧市街は広場を囲んで立体的に動線が交差し、石づくりの美しい街並みの中にところどころ差し込まれた現代的な建物がアクセントとなっています。広場や大通りは多くの観光客で賑わっていますが、ひっそりと静かな路地や大小100を超える橋、崖からせり出したボック(要塞)などが、中世の雰囲気をそのまま残しています。
アドルフ橋を渡った新市街では現代的なガラスファサードのオフィスが並び、旧市街と対照的な様相で国の豊かさを感じさせます。
美しい歴史的建築群を守る都市ブリュッセル(ベルギー)
続いて訪れたベルギーのブリュッセルも、中世の街並みを残した美しい都市です。
ブリュッセルではオスマンのパリ大改造(※)のように旧市街の構造を一掃する方法ではなく、旧市街の都市構造をもとにインフラの利便性を向上させながら取り壊しを最小限に抑えた整備が行われました。
それにより世界遺産であるグラン・プラスをはじめとする美しい建物や、魅力的な細い路地が入り組んだ景観が現在も残されています。
(※19世紀にパリのセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンが取り組んだフランス最大の都市整備事業。非衛生で劣悪だった都市環境に光と風を取り入れた点で高く評価される一方、歴史的な景観や多くのコミュニティが強制的に破壊された。)
その後20世紀に入って新たに都市改造が行われた際も、街の歴史を守るためのNPOが組織され、ブリュッセルの中心にあるイロ・サクレ地区(「聖なる島」の意味)では独立国家さながらの厳しい景観ルールによって17世紀の街並みが保たれています。
ほかにも、市内には600棟を超えるアール・ヌーヴォー建築が残っており、行政によって保存のためのルールが細かく定められています。
さらには王宮や芸術の広場など、市民が集う大きな公園も多く整備され、どこを歩いても味わい深い街並みが広がっています。
歴史に遊び心をミックスしたアムステルダム(オランダ)
ブリュッセルから続いては、特急列車Thalysに乗ってオランダのアムステルダムへ。
アムステルダムでは、街の北側を横断するアイ湾周辺のウォーターフロント開発が進んでいます。
東部湾岸地区では、かつて倉庫地区であったKNSM島、ボルネオ・スポーレンブルク島に低層高密度の集合住宅が計画されました。KNSM島はヨー・クーネン、ボルネオ・スポーレンブルク島はウエスト8と、オランダの建築家たちがマスタープランを手掛け、公道からのセットバックや建物高さ、外装材などのデザインコードを制限することにより、統一感のある街並みが形成されています。
アイ湾西側では、MVRDV設計による集合住宅「シロダム」やコンテナハウスの学生寮「キュービック・ハウトハーフェンス」、レストランとして再生した鉄骨の人工島「REMアイランド」などがあります。また対岸のNDSM埠頭では造船所跡にアーティストたち自身が再開発を進めており、慢性的な住宅不足の解決と同時に、新しい文化的基盤が整備されようとしています。
湾岸地区でアイストップとなるような奇抜なデザインの建物が現代的な風景を作り出している一方、アムステルダム中央駅から南側に扇状に広がる街と同心円状に走る運河がアムステルダム旧市街の都市構造の大きな特徴であり、その中にも古い建物を利用したショップやギャラリーなどが数多くあります。
入り組んだ街路と統一感のある街並みの中で水辺の美しさを堪能したり、お気に入りのスポットを発見したりしながらそぞろ歩くのはとても魅力的な過ごし方です。
そして、それら大小のスケールを持った都市生活をつなぐのが街中を走るトラム(路面電車)と自転車です。アムステルダムのトラムはヨーロッパでも有数の交通網を持っており、居住者にとっても、観光客にとっても、主要な交通手段となっています。
また、アムステル川の河口を埋め立てた都市地盤のほとんどがフラットで、自転車を利用する人がとても多いため公道には自転車専用レーンがあり交通ルールも浸透しています。
街歩きとデザインを楽しむユトレヒト(オランダ)
アムステルダムからICE(インターシティ・エクスプレス)でユトレヒトへ向かいます。
駅ビルには大きなショッピングモールがあり、そのビルを抜けると街の中心部にあるドム塔が見えてきます。ドム塔の横のインフォメーションセンターで自転車を借り、サイクリングをしながら街並みを見てみることにしました。
ユトレヒトも街中を運河が走っており、戸建てやタウンハウス型のゆったりとした住宅が並ぶのどかな風景を楽しむことができます。中央博物館やディック・ブルーナハウス、世界遺産に登録されているリートフェルト・シュローダー邸など、ほとんどの見どころを自転車で巡ることのできるコンパクトな都市です。
また中心部からやや離れたユトレヒト大学街「デ・アイトホフ」には、建築家のレム・コールハースやUNスタジオなどが手がけた新旧さまざまなデザインの建物が一堂に会しています。これほどカラフルで自由な建物に囲まれていたら、授業に通うのも楽しくなりそうです。
アムステルダムもユトレヒトも、都市や建物、サインに至るまで、クリエイティブなエネルギーに溢れており、世界から注目される、いわゆるダッチデザインのエネルギーを感じることができました。
今回の視察の目的であった、古い街並みを保存地区として残し、現代的な都市を新たに建設する手法の成功例として、これら3つの都市はお手本のように街の醸成を感じられました。このほかにも、同様の手法を用いた例はヨーロッパの多くの都市で見受けられます。
近代以降、日本では街の歴史や個性を意識せず画一的な都市計画や建物がいたるところにつくられたように思います。これからのまちづくりにおいては、その街の持つ歴史とアイデンティティを取り戻してゆくことが求められていると感じました。
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『産業遺構の記憶を残しながら、新たな魅力を与える』
さて、次に訪れた国々では、ロンドンのブリックレーンやサウスバンク、パリのベルシー地区などを視察しました。
移民文化と若者文化が融合したイーストロンドン(イギリス)
ブリックレーン~ショアディッチ周辺はロンドン中心部から東側に位置し、移民の街として知られています。
17世紀に設立したオールド・トゥルーマン・ブルワリー(ビール醸造所)を中心に数々の工場跡があり、おしゃれなショップやカフェ、ギャラリーなどに利用されています。
日曜日にはマーケットが開催され、さまざまなストール(露店)がひしめく街は多くのロンドナー(ロンドン在住者)や観光客で賑わいます。
周辺では開発が進み、エリアのすぐ裏までガラス張りの高層ビルが続々と建設中ですが、移民文化と若いエネルギーが混ざり合う独特の魅力は、街の景観とともに残ってほしい風景です。
ブリックレーンから南へ歩きタワーブリッジを歩いてテムズ川を渡ると、左手にバトラーズワーフが見えてきます。
ここは、ヴィクトリア朝期に建てられた倉庫跡が、コンラン卿のプロデュースにより高級フラットやレストランの入った複合施設として生まれ変わった事例です。
古くはテムズ川の河港として日雇い労働者などの低所得者層が住む街でしたが、第二次世界大戦後に港湾機能が他の港や下流の港に移って以降、シャッド・テムズ(日陰のテムズ河)と呼ばれスラム化が進んでいました。サッチャー政権下での再開発により富裕層や観光客が多く訪れるようになり、今ではロンドン有数の観光スポットとなっています。
ここからサウスバンク東側にかけては、物価の高いロンドンの中でも比較的家賃が低いエリアが続き、多くの若いアーティストやクリエイターが暮らしながら活動を行っているため、新しい文化のインキュベーターとして注目されています。
また、ロンドン中心部にも、コベントガーデンの「セブン・ダイアルズ」や「セントマーチンズ・コートヤード」、スローン・スクエアの「デューク・オブ・ヨーク・スクエア」といった景観に溶け込んだデザインの沿道型ショッピングモールが数多くあり、ビジネスだけでなくショッピングエリアとしての魅力も備えた街となっていました。
ワイン集積所から観光スポットへ生まれ変わったベルシー地区(フランス パリ)
次の目的地、フランスのパリでも、倉庫街から生まれ変わった地区があります。
「ベルシー・ヴィラージュ」は、「パリの田舎」と呼ばれるパリ南東部ベルシー地区のワイン倉庫跡をショップやレストラン、映画館の複合施設として再生した事例です。以前はセーヌ川の水運を利用したワインの卸倉庫街として栄えたエリアでした。
長屋状に連なるレンガの元倉庫群には人気のベーカリーや雑貨屋、ギャラリーなどが軒を連ね、パリでは珍しく日・祝日も営業しているため家族連れやカップル、観光客でにぎわっています。
新しい施設のため清潔でパリ中心部のような風情はあまりありませんが(どちらかというと周囲の高架下や堤防に描かれた落書きのほうがパリらしい気さえします)、スラム化しがちな郊外に光を当てた点では、治安の向上に一躍かっていると思われます。
また、近くには「パヴィヨン・ドゥ・ラルスナル」(パリの建築・都市計画の情報・資料展示センター)もあり、パリ市の変遷や市全体の模型などを見ることができます。1860年にナポレオン3世の改革により、12に分かれていたパリ行政区が現在の20の区に再編されました。グラン・パリ法案が可決されて約2年。再びパリはどう変わってゆくのでしょうか。
今回の視察旅行では、ヨーロッパのさまざまな都市を歩きながら、街並みや建築を通して、それをつくった文化やその文化を形成した人々に触れることができました。
ヨーロッパの人々が、これまで受け継いできた歴史を自分たちの誇りとし財産として大切にする考え方は、これからの日本やアジアのまちづくりにとって大変重要な視点であると実感しました。また、ブラウンフィールド(産業活動に利用され、土壌汚染(の可能性)などにより未利用となっている土地)を新しい文化の中心として転換し芽吹かせるためには、なにより人々のエネルギーが大きな力となっていることを改めて認識することができました。
以上、高木がレポートをお伝えしました。次回は番外編をお送りします。お楽しみに!